運動を指導する事で運動能力が低くなる現象について

小話

スポンサーリンク

先日面白い論文を見つけました。

なんと運動を指導する事で運動能力が低くなるのです。

指導者側としては「まさか」と目を疑うタイトルですが、内容を見て納得できました。

対称は、小学校前の未就学児です。

内容は、一斉保育よりも自由保育の方で運動能力が高く、園での運動日が0>毎日の形で運動能力が高いというのです。

一斉保育と自由保育は中の保育状況が細かくわからないので深く言及できませんが、園での運動日が少ないほど身体能力が高いのは驚きです。

ましてや、毎日運動している園で一番身体能力が低いという事実は目も当てられません。

なぜこのような状態になってしまうのでしょうか。

一斉保育と自由保育の違いと運動能力

まず、一斉保育と自由保育について違いとなぜ運動能力に違いが出るのか考えます。

一斉保育とは、一定のカリキュラムを作り、成長の狙いを的確にするようです。園で運動日数が多いのも一斉保育です。内容は、サッカーや体操・水泳など、子どもの能力に合わせた運動を保育園の先生や専門家が考え実践するものです。

自由保育とは、子どもが自発的に遊べるようにおもちゃなどを置いて、見守るというものです。

一見すると、一斉保育の方が近代的かつ合理的・科学的に感じます。

そして、幼少期のうちから具体的なスポーツを早くに教えて始める事ができるようです。

ここで、指摘されていたのがスポーツにはルールがあります。このルール指導にかなり時間を割いてしまい、実質の運動時間は少ないようです。例えば子どもが20人いて先生が何人いれば効率の良い授業になるのでしょうか。

僕の経験だと、未就学児の子どものみを集めて完全に統率をとるのは大人1人に子ども2人か3人が限界です。それも超わんぱくな子だと大人1人が付きっ切りじゃないと何かを教えるのは難しいと感じます。その場合、先生が10人いれば安心ですが、現実的ではないですよね。

先生1人に対して何人の子どもの面倒を見ているのかわかりませんが、一斉保育では計画を立てて実行しているにも関わらずやればやるほど身体能力が落ちるという結果に陥っています。

ただ、運動の時間中に先生の説明を聞くなど、順番をまったりしている光景をイメージしただけでもルールを守れる秩序あるいい子に育ちそうな気はします。

それでは自由保育はどうでしょうか。自由保育は名の通り自由です。ひたすら遊ぶようです。子どもの身体能力という点では自発的に、ちから一杯遊ぶという事が最も理にかなっているようです。先生はケンカが始まったら仲裁。ケンカにならないように手を貸す程度だそうです。決して自由保育の先生は放置してラクをしているとは言いませんが、一斉保育と比較すると皮肉な結果かもしれません。

遊ぶとは何なのか

この論文では遊ぶとは何のかという事にも触れていました。

遊びとは、自分らしく行動する自己決定の行動ということです。

例えば、一斉保育で今日は先生が「今日はサッカーで遊びます!!」と言ってもA君は蹴る事より投げる方が今やりたい場合、自分のしたいことができないという状態です。

ここで何が言いたいかというと、大人にとってサッカーは遊びだと思っていても本人の自由な意思がそこになければ遊びにならないという点です。

自分らしく行動する自己決定の行動こそが子ども運動能力最大限に伸ばし、それこそが本当の意味での遊びという事になります。

スポンサーリンク

また、今サッカーという具体的にスポーツを例に出しましたが、このような競技でなくても大人がやり方や方法について干渉してしまうのは遊びになりません。ルールがあってもせいぜい鬼ごっこくらいのものでしょう。

先ほど、自己決定について触れましたが、専門用語で内発動機付けといわれます。遊びには子ども本人の内発的動機づけのみでなく、子ども同士の人間関係や指導者の関係やその場の雰囲気などさまざまな要因で行動を起こします。

そのため、自由にしていいと言って一見遊んでいるように見えていても本当の意味で遊びになっているかは一概には言えないとも記載されています。

遊びを指導に取り入れる事ができるのか

これは、難しい問題です。

そもそもスポーツとは、フォームが重要だからです。そう考えるとバドミントンの指導としては、ラケットを持った状態で遊ぶという事はあきらめた方がいいと感じます。

しかし、遊ぶとは少し違いますが内発的行動という意味で、シングルスに関してあえてほとんどアドバイスはしないように心掛けています。これは僕自身選手なので言えるのですが、コート外の第三者が何を言っても一番理解できるのは自分と対戦相手だからです。

どのような状況でどのようなショットを打つかは内発的行動が全てで、的確な判断力が養われるためにも失敗や間違いでも自己判断で繰り返し、自発的に良い方法を気が付く能力が必要です。そのため、「今の展開ちょっと違うなぁ」と感じてもあまり突飛でもなければ我慢しています。ダブルスはしっかり型があり、ペアとの協調や共通したルールを外的に促すことで効率が良くなるのでこの限りではありません。

さて、遊びに関して日々の練習に組み込めるかについての問題点を考えてみました。

  • この論文は幼少期であり、小学生・中学生で同じことは言えない。
  • スポーツはルールの存在が前提で自由ではない。
  • たくさんの子どもを集めて完全な内発的行動を促したら場が荒れてしまう。

ぱっとこれだけ上げられます。年代に関して言えば、低学年はよく遊びます。男子なら中学生までなら遊ぶと思います。問題は小学校高学年から中学生の女子は遊ぶというよりはおしゃべりをしてしまう気がします。

スポーツと遊ぶという行為は身体を動かすという点では、一致していますが完全に矛盾しています。これは、練習の中で時間を区切る事でクリアできそうです。しかし、メリハリを作るのは訓練が必要だと感じます。

内発的行動とは本人の意思に委ねられます。完全な内発的行動はとは僕が完全に指示をしないという事です。そう考えると遊ぶとは難しいと感じます。結局、指導者が遊ばせている気になるだけのような気がします。例えば、ノックをしている時に低学年の子が後ろでカゴを持ってシャトルをキャッチしていました。このとき僕は練習中遊んでいるからよくないと思い注意しました。これは確かに遊びです。そう思って今度はカゴで飛んでくるシャトルをキャッチする練習を考えたとします。これはもう遊びではないのです。

遊びを練習に組みこむのは難しいですね。どうすればいいのだろうと僕が考えても思いつくそれは遊びではありません。本やインターネットにのっているのも遊びではありません。なぜなら行動を起こす子ども本人が自発的に考えたものではないからです。

具体的結論は出ていませんが、以上になります。

スポンサーリンク

コメント